Part 2 公益法人の資産運用規程は「アルゼンチン債の鬼子」か
アルゼンチン国債の衝撃
その理由の一つとして考えられるのが、2001年に起きたアルゼンチン債のデフォルト事件、いわゆるアルゼンチン・ショックです。
当時、アルゼンチン政府の発行する国債が円建てで、しかも高利回りであったためか、数多くの公益法人、農協、信用組合などがこれに投資していました。ところが2001年末に同国が利払い停止を宣言、同国債は紙くず同然となり、これらの団体は多額の損失を蒙っただけでなく、市民団体などから責任を問われる事態となりました。アルゼンチン債を購入していた財団法人の中には、理事長が私財を擲って損失を補填したとか、出捐者である地方自治体から訴えられたという話もあります。
このアルゼンチン債の事件以後、資産運用規程を定めるという動きが財団法人などの間に急速に広まりました。
日本の公益法人が定める「資産運用規程」が元本保証に極端にこだわった内容になっているのは、このデフォルト事件を「不祥事」ととらえ、このような事態を繰り返さないために定められているという性格が強いからである、と思われます。
日本ならではの事情
アルゼンチン債のデフォルト事件は、その少し前のエンロン事件などとともに不幸な出来事と言う外ありません。
ところが、このような「事件」が何故「日本で」起こったのかについては、今から見れば考えさせられる点がいくつもあります。
まず、これを購入した財団など公益法人の側で、金融知識が欠如していたことが挙げられます。アルゼンチン債が「円建て」で、他の円建て商品に比較した場合に「高利回り」であり、しかも曲がりなりにも「国債」であって「国家の保証」が付いているというだけの理由で購入を決定したフシがあるからです(注)。リスクとリターンの関係を顧慮するとか、ポートフォリオ全体の中でどのように位置づけるかといった配慮はおそらくなされていなかったでしょう。
(注) とは言え、アルゼンチン債購入の責任を公益法人の側だけに押し付けるのは酷であるようにも思えます。それというのも、平成8年に「公益法人の設立許可及び指導監督基準」が閣議決定され、さらにその「運用指針」には次のように定められ、運用対象となる資産が事実上限定されてしまったからです。すなわち、財団法人がその基本財産を、株式や株式投資信託、外貨建て資産などで運用することは「原則として適当でない」とされ、また、運用財産については、「安全、確実な方法で行うこと」が望ましいものの、「一定のリスクはあるが、高い運用益の得られる可能性のある方法」で運用することが望ましいとされました。
この文言を非常に素直に受け取った場合、「円建て」で「国家の保証」が付き、しかも「高利回り」のアルゼンチン債は、まさに打って付けの金融商品のように見えないでしょうか。
政府の指針は、株式や外貨建て資産等による運用を制限しているという点で現代ポートフォリオ理論に反しており、その意味で資産運用規程問題の淵源とも言えます。
ただし、「運用財産」に関しては、株式や株式投資信託、外貨建て資産に対する投資も含め、そのような制限はないと解釈できるようです。
証券会社の悪質なセールス
また、アルゼンチン債を推奨して売りつけた証券会社等の悪質なセールス手法は糾弾されるべきでしょう。「信用リスクと価格変動リスクがあります」くらいは小さな文字でどこかに書いてあったかも知れませんが、それらのリスクが結局のところ何を意味するかとか、「高利回り」であるのはリスクが高いことを意味し、アルゼンチン国の国債は過去にもデフォルトがあったというような適切な説明を、「資産運用の素人」である公益法人に対して行ったのでしょうか。
それどころか、同国経済の回復と成長性を強調する「社外秘」の文書を見せるなどした悪質なセールスが明らかになっています。このような某大手証券会社の手口はその後訴訟にまで発展しています。
市民の反応にも問題がある
最後に、損失が明るみに出た後のマスコミや市民の反応もあまり感心できるものではありませんでした。
マスコミはデフォルトによる巨額の損失ばかりを強調してスキャンダルを煽り、市民の関心も専ら損失額と関係者の責任追及にばかり注がれていました。
しかし、この「事件」で、真に問題とするべきことは、これが「適切な投資であったかどうか」ということです。「損失が出た」こと自体ではありません。そして、「適切な投資であったかどうか」は結果的な「損失の有無」によって判断されるべきものではなく、当該投資の「ポートフォリオ全体の中での位置づけ」が「リスクとリターンの関係」から見て適切であったかどうかによって判断されるべきものです。
そして、投資決定の段階で「適切な判断」がなされていたことが明らかなら、その後仮に損失が出たとしても問題視するべきではないのです。
当時の公益法人の金融知識レベルから見て、適切な投資判断があったと考えにくいのは確かです。とは言うものの、いずれにしても、資産運用ポートフォリオの一部だけを取り上げて、そこにリスクのある資産が含まれていたとか、あるいは損失があったとか論うのは、投資ポートフォリオ理論からするとナンセンスでしかありません。
何故なら、いわゆる「ハイリスク」とされている投資であっても、リスクの性質の異なる資産と組み合わせることによって、全体としてはリスクを低減させる効果があり得るからです。
見るべきものは「全体」である
一例を挙げれば、アメリカの巨大助成財団の一つであるマッカーサー財団は、運用資産の40%を上場株式で、それを上回る46%をヘッジファンドやプライベート・エクイティ等の代替投資で運用しています。株式投資は言うまでもなく価格変動リスクがありますし、代替投資も一般にハイリスクであるとされています。しかし、これを組み合わせることによって、株式が不調の年は代替投資が好調となり、代替投資が不調の年は株式が好調となるなど、ポートフォリオ全体としてはむしろリスクを軽減して安定的に成長しているのです。
それなのに、ポートフォリオの全体を見ようとせず運用の一部だけを取り上げて、株式が不調のときは「価格変動のある株式に投資して損失を出した」と言い、代替投資が不調のときには「ハイリスクのヘッジファンドに投資して損失を出した」などと言って非難することは、全く意味がないというべきです。
また、同財団では、2002年から2006年までの年平均で14%弱の運用リターンを上げていますが、2002年についてはITバブル崩壊やエンロン事件の影響もあってか5%弱のマイナスとなっています。しかし、そのとき損失が出たことをことさらに取り上げて「公益目的の財団がリスクのある投資するなどとは、けしからん」などと言ってみても始まりません。
むしろ、この損失にもかかわらず、債券中心の運用などに方針転換することなく投資を堅持し、その後の成長につなげたことを賞賛するべきなのです。
繰り返しますが、元本確保にこだわって適切なリスクをとる投資を怠り、明らかに「インフレに負ける」ポートフォリオを組むことの方が、「けしからん」どころか、米国ではむしろ「違法」となる可能性があるのです。
アルゼンチン債の鬼っ子
ですから、2001年当時、アルゼンチン債による損失ばかりをセンセーショナルに報道し、ポートフォリオの全体には一顧だにしないマスコミの姿勢も、資産運用の一部に損失が出たからといって財団理事長など関係者の責任を問う市民団体の反応も、トンチンカンなものと言わざるを得ないでしょう。
財団理事長に圧力をかけて私財を拠出させることは、「投資するな」と言っていることと同じであり、これはアメリカ的な見方からすれば「違法行為を煽っている」ことにも等しいと言えます。
このように、投資家である公益法人、証券会社のセールスマン、マスコミ、市民のいずれもが金融知識を欠き、ちぐはぐな反応に終始した「アルゼンチン狂騒曲」の結果として生まれたのが、今日多くの財団法人、社団法人で採用されている資産運用規程であると言えると思います。「損失」がマスコミに取り上げられる「不祥事」となったため、これを避けるための「元本確保」にこだわるあまり、欧米なら違法とされかねない「インフレに弱い運用」を定める資産運用規程は、まさにアルゼンチン債の鬼っ子です。
その基本的な思想は、「元本の確保」による「資産の保全」にあるのでしょう。けれども、「元本確保」イコール「資産保全」となることは、むしろ例外なのです。
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